五条坂京焼登り窯について

”元藤平陶芸登り窯の歴史的価値等調査研究 報告書 調査研究の目的”より

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京都市内に現存する最大級の登り窯跡

平成23(2011)年4月に開校した京都市立開睛小中学校の東側に隣接して、四百年にわたる京焼・清水焼の歴史と関わりの深い一角がある。平成20(2008)年に京都市が購入し、 所有するところとなったこの敷地(元藤平陶芸敷地)には、京都市内に現存するなかでも 最大規模を誇る登り窯と作業場、煉瓦づくりの煙突が、操業当時の姿を留めたまま残されており、近代の五条坂地区における製陶業の一つの姿をいまなお如実に伝えている。

貴重な歴史遺産・文化遺産として

京都市では、今後、かつてこの地で製陶業に従事した人々の息吹を伝えるこの貴重な歴史遺産、文化遺産の現状を損なうことのないよう、その保存に最大限の努力を払うとともに、いまなお人々の創造性を刺激する豊かさに充ちた空間として、大いに活用していきたいと考えている。具体的には、京都市立開睛小中学校等における学校教育に役立てるだけではなく、地域のまちづくりや清水焼を中心とする伝統産業の振興と発信、地域に広く内 外の人々を迎え入れて交流をはかる観光、長い歴史に培われた京焼・清水焼の創造力を未来に繋いでいく芸術文化活動等の拠点としての活用を視野に入れ、多様な方策の検討を進めている。

今後に向けた価値調査研究

登り窯を中心とする遺構全体の歴史的意義、存在価値を正確に把握 することがまずは必要と考え、今回、登り窯の歴史的・文化的価値を明らかにするための 包括的な調査研究を行うことにした。今後は、京焼・清水焼の研究者が参加して行われた 学術的な調査研究の成果である本報告書に基づいて、京焼・清水焼の発展に寄与してきた 登り窯の存在価値を広く内外に発信し、さらに高めていくとともに、我々が過去から受け 継いだ貴重な遺産を大切に守り、さらには活用していくために、最もふさわしい方策を具 体的に検討していく際の基礎的な資料と位置づけることで、近い将来の活用に向けて機運 上昇を図っていきたいと考えている。

※五条坂京焼登り窯は 一般非公開施設です

フォトギャラリー

元藤平陶芸登り窯(2008年9月南部裕樹氏撮影)
一の間から九の間(佐野春仁氏による合成写真)

アートギャラリーイベント

「藤平伸とその背景 京焼登り窯の広がり」チラシ表面写真

元藤平登り窯特別公開

期間:2015年10月3日〜18日の土日・祝の6日間

作品展「現代京都藝苑2015」チラシ表面写真

PARASOPHIA 京都国際現代芸術祭2015/現代京都藝苑2015

期間:2015年3月7日〜4月12日

廃墟の記憶

期間:2014年10月4日〜10月22日

アートギャラリーイベント一覧を見る

元藤平陶芸登り窯の歴史的価値等調査研究 報告書

元藤平陶芸登り窯の概要


1.元藤平陶芸登り窯と清水焼

元藤平陶芸登り窯は、五条坂地区に残された数基の登り窯の一つである。戦前から戦後にかけ て、多くの清水焼の登り窯が操業を停止し、窯そのものが失われていったが、そのなかで操業当 時の姿をそのままに留めている貴重な歴史遺産、文化遺産といえる。 京都東山山麓の粟田口、五条坂、日吉、泉涌寺の一帯は、昭和 30 年代まで、数十基の窯が稼 働する京焼の一大産地であった。京焼の歴史は江戸初期(17 世紀前半)に始まるが、すでに 17 世紀の終わりには五条坂周辺でもやきものが生産されていた。当時の文献『菟芸泥赴(つぎねふ)』 (1684 年刊)には「清水の音羽の滝の流れの東なればなり。そのあたりに今焼の器物さまざま に営めり、音羽焼とて京師もてはやす」とあり、この地を流れる音羽川にちなんで「音羽焼」と 呼ばれていたことがわかる。・・・

Introduction


1. Fujihira Climbing Kiln and Kiyomizu Ware

The Fujihira Climbing Kiln is one of several kilns surviving today in the Gojo-zaka area. During the period before and after the Second World War, many climbing kilns (Noborigama) for Kiyomizu Ware (Kiyomizu-yaki) ceased operation and were demolished. Therefore this kiln is a precious cultural asset, which maintains its original style. Located on the outskirts of the Higashiyama mountain range, Awata-guchi, Gojo-zaka, Hiyoshi and Sennyu-ji used to constitute the area for the production of Kyoto Ware (Kyo-yaki), with dozens of kilns existing until the 1950s. The history of Kyoto Ware dates back to the early 17th century, by the end of which ware began to be produced in the Gojo-zaka area. ・・・

論文


資料集